長山靖生『人はなぜ歴史を偽造するのか』光文社知恵の森文庫

 この本の前半部分では、偽史に取り憑かれてしまった人たちのエピソードが紹介されているが、これが実に面白い。いくつか紹介してみる。

  • 江戸初期、偽系図作りを商売としていた沢田源内。彼は架空の系図をでっち上げるだけでは飽き足らず、歴史にも手を出し、『金史別本』という偽書を漢文で執筆する。この本は、十二世紀、中国北部を支配した金国の歴史書という体裁をとっており、衣川合戦で死ななかった源義経が金国に渡ったという話が載せられている。
  • 明治期、ケンブリッジ大学に留学した末松謙澄は、イギリス人を装い、義経ジンギスカン説を主張する論文を英語で執筆した。この論文は、内田彌八訳述『義経再興記』として、日本で大きな反響を呼んだ。
  • 竹内文書』を竹内巨麿に奪い取られたと主張した熊沢寛道。彼は、後醍醐天皇の後裔で、南朝の正統な皇位継承者であると自称していた。昭和十年頃、熊沢「天皇」を利用したクーデター計画が一部右翼のあいだで持ち上がった。また、昭和二十年九月、熊沢は、天皇は自分に譲位すべきとの請願書を、マッカーサー司令官宛に提出した。

 ちょっと調べてみたら木村鷹太郎の「歴史本」は、一部マニアに人気があるのか、1980年代に復刻版が何冊か出されていた。また、『竹内文書』関連の本も多数出ていて、今でも新刊本をアマゾンのサイトで買うことができる。
 上に挙げた人たちの例は極端だとしても、正史と偽史の境目はそもそも曖昧だ。フランス語のhistoireという言葉は、「歴史、史実」という意味にもなるし、「うそ、作り話」という意味にもなる。よく言われるように、歴史は物語であり、人々の思想や願望がそこには入り込む。このことをよく認識しておかないと、ややこしいことになる。あるいは、そうなってしまっているのが、いわゆる歴史認識問題というやつだと思う。この本の後半では、戦前の「南北朝正閏論争」から、現代の「歴史教科書問題」、「憲法改正問題」までが扱われているが、著者も述べているように、これらの問題と荒唐無稽にみえる偽史とは無関係ではないのだ。

人はなぜ歴史を偽造するのか (光文社知恵の森文庫)

人はなぜ歴史を偽造するのか (光文社知恵の森文庫)