ストリンドベリ『強者』『母の愛』『火あそび』

(『講談社 世界文学全集58』所収)

『強者』(1888〜89)

 一幕劇。登場人物はX夫人とY嬢の二人だが、X夫人が一方的にしゃべり続け、Y嬢はそれを黙って聞くだけという一種のモノローグ劇になっている。


【あらすじ】
 Y嬢はX夫人の夫のかつての愛人。ひとりの男をめぐってライバル関係にあった二人の女性が顔を合わせるという、何ともいたたまれない設定になっている。最初、X夫人は、夫が最終的に自分のもとに戻ってきたという自信からか、「彼はあんたなんかに興味をもったりしない」などと言って、余裕たっぷりの態度を見せつける。しかし、夫のスリッパに自分の嫌いなチューリップの刺繍をしなければならない理由にふと気付く。チューリップはY嬢が好きな花なのだ。X夫人はY嬢への憎しみをあらわにし、捨て台詞を言って立ち去る。


 二人のうち本当の強者はさてどちらか?というのがこの劇の投げかける問い。

『母の愛』(1892)

 一幕劇。登場人物は、元売春婦の母親とその娘ヘレーネ。彼女たちと一緒にいる劇場の衣装係の女性アウグスタ。そして、ヘレーネの唯一の友人リーセン。


【あらすじ】
 元売春婦の母は、アウグスタとともに、娘ヘレーネの行動を縛りつけ、自分と同じことを考え、同じことを望むように育ててきた。そんな娘が、自分と散歩することを拒んだことで、母は自分の知らないうちに、娘が誰かと会っているのではないかと疑う。
 母とアウグスタが退出したところへ、リーセンがヘレーネに会いにやってくる。リーセンはヘレーネの異母妹で、ヘレーネを実の父に会わせようと彼女を説得しにきたのだった。リーセンは自分の正体を明かし、ヘレーネに母から独立することを説く。ヘレーネは母に束縛されるのはいやだが、母を見捨てることはできないと言う。
 二人の少女が話していると、ヘレーネの母が現れる。ヘレーネの母は、娘に父を憎むように仕向けていたが、リーセンは、ヘレーネの母の話は作り話であると言い、ヘレーネの教育費も父が出していたことを暴露する。
 ヘレーネは母を責めるが、「あなたたちが長年かかって築いた壁ですもの、あたしがそう簡単に壊せるはずはないわ!」と言い、母のもとに残ることを選択する。


 娘の幸せと母の幸せは両立しない。どちらかが幸せになれば、もう片方は不幸になる。結局、娘は自分を犠牲にすることを選択する。親離れ、子離れという現代にも通じるテーマ。というか、子供が親の犠牲になるのは、いつの時代も変わらない。また、『母の愛』は自立しない女性の話でもある。しかも自立しない女性を作り出しているのは女性自身なのだ。

『火あそび』(1892)

 一幕の喜劇。
 登場人物:父、母、息子(クヌート、画家)、息子の妻(カースティン)、友人(アクセル)、従妹(アデーレ)。


【あらすじ】
 舞台は海辺の別荘地。クヌートはへぼ画家で経済的には無力。利息で生活する父に頼っている。まもなく離婚することになっているアクセルは、友人のクヌートたちと一緒に夏を過ごしている。
 父はアデーレにご執心で、登場する度にアデーレのことをたずねる。クヌートとカースティンは、母が死んだ後、父がアデーレと再婚しないかと心配していて、アクセルとアデーレが結ばれることを願っている。カースティンはアデーレのことをよく思っていない。
 やがてクヌートとカースティンの関係がぎくしゃくし始める。クヌートは、カースティンとアクセルの関係を疑い、カースティンはクヌートとアデーレの関係を疑っているのである。クヌートとカースティンが喧嘩をして、クヌートが怒って出て行くとアクセルが現れる。カースティンとアクセルは互いに愛を告白する。そこへクヌートが戻ってきて、カースティンとアクセルが結婚する保証があるのなら、自分は身を引いてもいいと言う。カースティンもその気になっているのだが、アクセルは「ぼくの滑稽さ加減がわかりませんか?」と言い、その場を立ち去る。


 解説によると『火あそび』はストリンドベの作品のなかで、スウェーデンにおいて最も好まれているもののひとつらしい。

※写真は1879年のストリンドベリ。この年、スウェーデン最初の自然主義小説と言われる『赤い部屋』を発表し、作家としての地位を築く。