アナトール・フランス『舞姫タイス』白水Uブックス

【あらすじ】
 アンティノエの修道院長パフニュスは、放蕩生活を送っていた若い頃に心惹かれた舞姫タイスを改宗させようと、アレクサンドリアへと向かう。パフニュスは、タイスに存在によって多くの人が堕落させられていると考えたのだ。幼い頃、家にいた黒人奴隷によってキリスト教に導かれ、洗礼を受けていたタイスは、パフニュスの言葉に打たれ、屋敷にあった贅沢品を全て焼き捨て、修道院での生活を始める。目的を達したパフニュスだが、皮肉なことに彼はそれ以降、タイスの幻影に悩まされるようになる。苦行に励んでも心の平穏を得られないパフニュスは、タイスが今際の際にあることを知ると、一目散に彼女のもとへと駆けつける…。


 白水Uブックス版の裏表紙には、小説の内容紹介として「哲学小説」という表現が使われている。しかし、私は、解説を書いている堀江敏幸氏の「おどろくべき仮想情痴小説」という表現のほうが、この小説の内容をよく表していると思う。堀江氏は次のように書いている。

しかし、結論から先に言えば、これは少年の日の純愛に近い肉体への憧憬を、最後の最後まで見誤っていた冴えない男の片思いにほかならず、ほんとうはすぐにも抱きたい気持ちを、知識と信仰の枷で押さえつけていただけの、悲しき恋愛譚なのである。小説としての力は、だから、舞姫タイスそのひとの肉体的な魅力と、それを増幅する男の歪んだ欲望の接戦に集中する。

 恋をしてしまった男は無力な存在だ。知識や信仰などで、感情を押さえつけようとしても無駄である。むしろ、そんなものがあると破滅の度合いを強めるだけだ。この前読んだ『尼僧ヨアンナ』のスーリン神父と同様、『舞姫タイス』のパフニュスにも悲惨な結末が待っている。いや、悲惨というよりも滑稽と言ったほうが良いかもしれない。スーリンの場合、半ば意識的に破滅への道を歩むのだが、パフニュスは、自分の欲望をひたすら押さえ込もうとした結果、ついにはそれを全くコントロールできなくなってしまうのだから。パフニュスが壊れていくさまは、哀れみのあとに意地の悪い笑いを誘う。『舞姫タイス』は毒気たっぷりの情痴小説だ。

A・フランスの小説を原作にしたマスネのオペラ『タイス』(1894年初演)。